化粧道具がどのように使われてきたか、学芸員が解説するキュレイターズトーク「化粧『モノ』語り」。今回は白粉化粧編と称し、スライドを使った講義だけでなく実演もまじえ、白粉の種類とその違い、白粉を溶くための道具類を紹介しました。
講義ではまず京坂と江戸の白粉化粧法の違いに始まり、白粉の原料や産地、製造方法など歴史的背景を詳しく解説しました。
白粉の原料は軽粉(けいふん:水銀白粉)や鉛白(えんぱく:鉛白粉)が主流でしたが、白い石を砕いた白土、貝殻を砕いた胡粉、米粉なども配合増量剤として用いられました。また、子供の頃に種を割り白い粉を取り出して遊んだ方も多いのではないでしょうか、あのオシロイバナの種の胚乳もその一つ。庶民にも化粧が広まる中、鉛白粉に混ぜ物をすることによって品等差や価格差がつけられていきました。
白粉を溶くのに大名家のお姫様は豪奢なお碗を用いましたが、特に庶民にもてはやされたのが蓋付きで密閉性の高い白粉重です。溶いた白粉の保存性にすぐれた白粉重は、庶民のための便利メイクアップツールとして広まります。ミニ展示(2019年3月2日~31日開催)では大きさ、段の厚さ、文様など様々なバリエーションをご覧いただきました。
明治に入り、鉛の毒性が知られるようになっても鉛白粉の人気は根強く、明治33年(1900年)に使用が禁止されても使い続けられ、製造禁止にいたったのは昭和9年(1934年)のことでした。その理由に迫るべく、今回は画材として一般に販売されている鉛白と、舞台化粧用の酸化チタン製の白粉を溶いて比較実験を行いました。溶くのに用いたのは当館所蔵の大正期の白粉重です!
手袋を着用したスタッフが、「都風俗化粧伝」の指南通り、だまにならないよう丁寧に溶いてマネキンの肌に塗布。半紙をあてて上から刷毛で押さえて余分な白粉を取り、つけては取りを繰り返した後刷毛で整えていくと、鉛白粉はよりきめ細かく、お雛様のお顔のようにつるんとした仕上がりになりました。その仕上がりの良さから、なかなか手放せなかったのでしょうか。
最後に二手に分かれ、参加の皆様にはマスクを着用していただき、実際に白粉重で白粉を溶く様子を間近でお見せしました。上段が白粉溶き皿、中段が白粉入れ、下段の水入れは白粉を溶いた後に刷毛を洗うのにも用いられたため、深鉢状になっています。
実際に溶いた後はテーブルの上にも白粉が飛び、後片付けがなかなか大変でした。浮世絵に描かれる江戸時代の女性たちは、もろ肌を脱いで白粉化粧をしています。今以上に手際の良さが求められる化粧だったのだなと実感しました。
参加者の皆様からは「色白は七難隠すが口癖だった母の価値観がよくわかりました」「色々な粉の質感の違いを見比べられて理解が深まりました」などの感想を寄せていただきました。
いつもは展示ケースの内側にある収蔵品を、実演をまじえながら間近で見ていただくキュレイターズトーク。江戸時代の女性たちの日常生活がよりリアルに、そして身近に感じられたのではないでしょうか。
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