コレクション

化粧道具(明治以降)

口紅「ポマード・ローズ」

明治37年(1904)頃日本輸入 / ロジェ・ガレ社

日本のスティック状口紅は、明治後半にフランスのロジェ・ガレ社製の棒状口紅(洋紅)が輸入されたのが始まりとされる。しかし、舶来品の口紅を使用できたのは淑女や花柳界、洋行帰りといったごく少数の女性であり、本紅の需要は続いた。

「艶蝶」小町紅 ・「艶蝶」棒紅

昭和時代初期

伊勢半(現 伊勢半本店)が、昭和初期に製造していた口紅。棒紅とは日本独自のスティック状口紅である。容器を必要とせず、アラビアゴムと顔料等を棒状に固めたもので、水か唾液で溶いて使用する。

頬紅類各種

大正後期~昭和初期

外国製・日本製の頬紅・水紅。明治期まで頬紅の用途は顔色を良くすることが主であったが、大正期以降、顔の陰影を作り出したり、服装によって色味を変えるなど美粧目的で頬紅を使うようになる。

キスミースーパー口紅

昭和30年(1955)~

当時流行していた「落ちにくさ」を訴求した口紅をさらに改良し、「落ちない口紅」として発売。「キッスしても落ちない口紅」のキャッチコピーは、各方面から話題を呼んだ。

粉白粉

昭和前期~中期

粉状のファンデーション。中身の手軽さで、大正末期頃から普段使いや薄化粧、時短化粧に重宝されてきた。化粧アイテムとして定番化し、色や容器デザインも豊富に展開していく。

水白粉「やまと錦」

明治34年(1901)頃 / 仁壽堂分店

水白粉は、明治時代に西洋から入ってきた液状の白粉。グリセリン溶液と白粉用の粉末原料を約8:2の割合で配合する。不溶性の粉末原料は沈殿するため、振ってから塗布する。教養ある女学生は化粧も身だしなみのひとつとされ、水白粉の使用が推奨されていた。

煉白粉「御料 御園白粉」

明治37年(1904)~ / 伊東胡蝶園

「御園白粉」は、日本初のいわゆる無鉛白粉。江戸時代以前より使用されてきた鉛や水銀の白粉は、健康被害が問題視されてきた。しかし、「御園白粉」が創製されるまでは有害白粉の使用感に優る無害な白粉がなかったため、鉛白の需要は高かった。

白粉下「小町水」

明治11年(1878)~ / 岳陽堂平尾賛平(のちのレート化粧料)

白粉下とは、白粉を塗る前に付ける下地のこと。「小町水」は岳陽堂が創業直後から売り出した商品で、その商品の人気にあやかり他社も追随して類似品を発売した。ラベルには和装、日本髪の女性が描かれ、鏡台は当時の最新式である。