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なかなか鋭い指摘です。

当館所蔵の『都風俗化粧伝』(全3巻)については、以前にもここで触れましたが、今回は同書の序文について皆様にご紹介いたします。
 
書籍の冒頭にある序文が、凡そその書籍の内容を簡潔に示していることは、この『都風俗化粧伝』(以下、『化粧伝』とします)においても同様です。
『化粧伝』上巻の序文は、「この本に書かれている通りに化粧をすれば、どんなブスだって美人になれる、世の女性にとっては千金にも換えがたい、まさに秘蔵の書である」という形で締めています。(注;ニュアンスが伝わりやすいように多少の意訳をしております)
今であればちょっと表現を濁すであろう箇所も、『化粧伝』ではダイレクトに、オブラートに包まずに、歯に衣着せずにそのまま記しています。たとえば、「醜き顔容」・「醜き顔を美人にする作り方」などがそれに当たりますが、まったく容赦のない表現です。ここまで直接的だといっそ清々しい感じすらします。
 
さて、肝心の序文の内容ですが、今の時代の人が読んでも思わず納得してしまう、そんな指摘が序文の中には見えます。下の画像はその部分です。
 

 
これを意訳しますと、次のようになります。
 
「(前略)そもそも同じ天地に生まれていて、都会だから美人、田舎だから不美人に生まれるなどということはない。都会の人は、自分に合った化粧・服装をよくわかっているから不美人でも美人に見えるのである。これに対して、田舎の人はたとえ美しい容姿で生まれても、自分に合った化粧方法や着こなし方をわかっていないがために、せっかくの美人も不美人に見えてしまうのだ。要するに、美人・不美人の差とは、化粧の仕方が巧いか下手かに因るのである。実際に、田舎の人が都会に出て1~2年後に帰省すると、急に美人になって見えるのは、都会で自分を美しく見せるテクニックを知るからだ(後略)」
 
やはり自分にあったメイクやファッションは大事だということですね。
整形などというものがなかったこの時代、美しくなる第一歩は自分を知ることだったのでしょう。
現在でも十分通用する考え方ではないでしょうか?
 
資料館担当T